人間の思考は2つの側面を持ち、創造的 (能動的) な思考と受動的な思考に区別される。
ある人物の言葉を借り、前者を拡散的思考、後者を収斂的思考と呼ぶ。
I. 拡散的思考
既知の情報から考えを巡らせ、新たな考えを生み出していく思考。
II. 収斂的思考
既知の情報を論理的に関連づけ、まとまりに整理する中で正解に辿り着く思考。
例えば、小論文を書く。
与えられた文章を読んだ後、自分で新しい解釈を生み出し、論理的に文章を展開していくのは拡散的思考によるもので、本来の小論文のあるべき姿である。
一方で、作者の意見を目標として、文章中の情報を整理しながら文章を展開していくのは収斂的思考によるものである。
教育者たちが、答えのない小論文に明確な採点基準を設け、入学試験等に利用している背景には、収斂的思考を重点的に高めんとする日本の教育システムの陰が潜んでいる。
思うと、これまで受けて来た学校教育は、収斂性に基づく知識の訓練であったように感じる。常に辿り着くようにと設定された "正解 (ゴール) " があり、その正解に辿り着くための知識の習得や記憶を強いられた。
学生は拡散的思考力の是非は問われず、収斂的思考力のみに基づいた評価が下され、優劣がつけられる。
収斂的思考力による課題は、正解のない問題と対面してしまうと手も足もでなくなるところにある。
実際にこの問題は、大学院での研究活動中に顕著に現れ、頗る苦労した。20数年の間、用意された正解に向かって思考をするように教育されてきた人間にとっては無理もない話である。
打開策として過去の研究や様々な論文で得た知見を基に、何度も新たな仮説 (考え) を生み出し、その有用性を検証した。
これは拡散的思考に区別される。
拡散的な作用により生み出された多くの仮説は、いわば3次元空間に放り出した点のようなもの。一見なんの関係もないようなデタラメな点の集まりであったが、PDCAサイクルを回す中で自然と収斂され1つの結論へと達した。収斂されることのない拡散的アイデアは消滅するだけである。
思考力を高めるにあたって、収斂的思考力はこれまでの義務教育や高等・大学教育の中で十分に磨かれているため、その鍵は拡散的思考力の飛躍にかかっている。
思考力←拡散的思考力+収斂的思考力
を念頭におき、思考がその前提に拡散性と収斂性の2つの側面を孕んでおり、それらは明確に区別されながらも密接に関わっているということを理解しておく必要がある。