東京
【東京】に抱くイメージは、
都会、高層ビル、人が多い、日本の中心…
が一般的であろう。
一方で【東京】には築年数不明の空き家があるし、人が少ない地区があるし、熊も生息している。人々は【東京】が持つそれらの要素を忘れがちである。
国の中心都市であることが、他地域で見られない超高層建造物の存在が、世界を圧倒するほどの人口密度が、【東京】が持つ唯一無二の要素として現代人の意識に刷り込まれた。
たとえば高度経済成長は、【東京】を構成する要素に序列を生み出した。結果、人々は無意識のうちにマイノリティな要素を認知から排他し、マジョリティな要素をより強く意識するようなった。この課程、つまり抽象化によって、【東京】はより高度な概念へと昇華されたのだ。
抽象化はその過程で具体の取捨選択を何度も繰り返す。
【東京】は目には見えないし、手で触れられない。
実態ある数多くの具体が抽象化によって昇華され続けたことで、【東京】の2文字は普遍的な意味を位置付けられた。
言葉も文字も数字も人間が抽象を扱うためのツールなのだ。そして具体は、言葉によって抽象化される行動や物体なのだ。
なるほど。
ことわざや古事成語は、数多くの類似的行動が永い時を経て抽象化の名の下に言語化されたものであると考えれば、あながち間違いではない。
日本の義務教育課程で、"こくご"と"さんすう"が長い間重視されてきた背景にも少し理解が深まった気がする。
本題を記す。
アホへ
Twitter散見される、一般論に対してマイノリティな、マイノリティすぎる反例でマウントオナニーをしている君へ。
言葉を扱う以上、それが持つ抽象的性質は最低限理解して、相手と同じ目線から議論することを心がけてほしい。切り捨てられた具体を挙げ出したらキリがないし、言葉そのものがその意義を失ってしまうから。
なんでもかんでも噛み付く前に、一度立ち止まって自分で考えてみてください。
抽象⇔具体はいわばマジックミラーで、抽象→具体は見えても具体→抽象はどうも見えないみたいだし。
ただ友達の近況だったり興味のある分野だったりについて知りたいだけなのに、アホ(ついでにインプゾンビ)が目立つ目立つ。
君のことだよ。
義務教育を知らないあなたに問います。
あなたは(東京)を知っていますか?
知らないでしょうね。
セックス
きもちいい。
桃源郷
こんなに胸が痛いのにいつか忘れるなんて
B'z / Don't Leave Me
思い出に勝る現在 (いま) はなし。
過剰に美化した過去へ想いを馳せるのは人間の性であろうか。
嫌悪感や不快感は時間の経過によって没落し、事実は美しく色付けられる。自身が持つ価値観を基準として、都合の悪い事実は忘却によって淘汰されるのだ。
思い出は価値観と時間によって作為的に編集された過去にすぎない。
過去に戻る術が存在しない今日において、懐古の念は幻滅によって壊されることはないし、ありのままの過去を正確に再現する (思い出す) ことは不可能だ。
時間によって浄化された思い出をベースに現在・将来を構築しようとしても、大きなギャップに苛まれるかもしれない。
どんな結末が待っていても、いつか自分の中で今この瞬間が美しく彩られると分かっているのならば、思い出の殻に閉じこもらずにあえて困難な道を歩くのも悪くないだろう?
思考の前提
人間の思考は2つの側面を持ち、創造的 (能動的) な思考と受動的な思考に区別される。
ある人物の言葉を借り、前者を拡散的思考、後者を収斂的思考と呼ぶ。
I. 拡散的思考
既知の情報から考えを巡らせ、新たな考えを生み出していく思考。
II. 収斂的思考
既知の情報を論理的に関連づけ、まとまりに整理する中で正解に辿り着く思考。
例えば、小論文を書く。
与えられた文章を読んだ後、自分で新しい解釈を生み出し、論理的に文章を展開していくのは拡散的思考によるもので、本来の小論文のあるべき姿である。
一方で、作者の意見を目標として、文章中の情報を整理しながら文章を展開していくのは収斂的思考によるものである。
教育者たちが、答えのない小論文に明確な採点基準を設け、入学試験等に利用している背景には、収斂的思考を重点的に高めんとする日本の教育システムの陰が潜んでいる。
思うと、これまで受けて来た学校教育は、収斂性に基づく知識の訓練であったように感じる。常に辿り着くようにと設定された "正解 (ゴール) " があり、その正解に辿り着くための知識の習得や記憶を強いられた。
学生は拡散的思考力の是非は問われず、収斂的思考力のみに基づいた評価が下され、優劣がつけられる。
収斂的思考力による課題は、正解のない問題と対面してしまうと手も足もでなくなるところにある。
実際にこの問題は、大学院での研究活動中に顕著に現れ、頗る苦労した。20数年の間、用意された正解に向かって思考をするように教育されてきた人間にとっては無理もない話である。
打開策として過去の研究や様々な論文で得た知見を基に、何度も新たな仮説 (考え) を生み出し、その有用性を検証した。
これは拡散的思考に区別される。
拡散的な作用により生み出された多くの仮説は、いわば3次元空間に放り出した点のようなもの。一見なんの関係もないようなデタラメな点の集まりであったが、PDCAサイクルを回す中で自然と収斂され1つの結論へと達した。収斂されることのない拡散的アイデアは消滅するだけである。
思考力を高めるにあたって、収斂的思考力はこれまでの義務教育や高等・大学教育の中で十分に磨かれているため、その鍵は拡散的思考力の飛躍にかかっている。
思考力←拡散的思考力+収斂的思考力
を念頭におき、思考がその前提に拡散性と収斂性の2つの側面を孕んでおり、それらは明確に区別されながらも密接に関わっているということを理解しておく必要がある。